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大阪城観光の見どころ6選
大阪に凛々しくそびえたつ「大阪城」
関西を代表する桜の名所である大阪城公園は、毎年大勢の花見客でもにぎわいます。中でも「西の丸庭園」にはソメイヨシノを中心に約300本の桜が植えられており、例年ではライトアップされた幻想的な夜桜を楽しむこともできます。
ちなみに大阪府の「桜の標準木」も西の丸庭園の中に設置されており、まさに「大阪の桜の中心地」と呼べる場所なのです。
西の丸庭園の中に設置されている、この「桜の標準木」の咲き具合で大阪府の桜の開花宣言が行われます。
大阪城「本丸」へと向かう正面入口、その名もずばり「桜門」は重厚な造りに風格が漂う、国の重要文化財で、豊臣時代、この付近に桜並木があったことが名前の由来とされています。桜門をくぐり抜ければ、大阪のシンボルである巨大な天守閣と、力強く枝を広げる桜の共演は圧巻ですよ。
広大な敷地を誇る大阪城公園のお堀の水面に映りこむ桜を眺めたり、桜の下で散歩やランニングをしたりと様々な楽しみ方ができるのも魅力です。
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桜門
大阪城の桜門は、天守閣の真南に位置する本丸への正門です。
桜門の名前の由来は、大阪城が建てられた当時、このあたりに桜並木があったからなのだとか。当時の桜門は明治維新に焼失してしまい、現在見ることができるのは明治20年に再建されたものですが、国の重要文化財に指定されていることもあり、一年中数多くの旅行者が足を止めます。
ちなみにこの桜門側のお堀は昔から空堀で、水が張られたことはありませんでした。
その理由は諸説あると言われていますが、今でも大阪城にまつわる謎の一つとされています。
大手門
大阪城の正門玄関とも言われている大手門は、国から重要文化財の指定も受けているほど重要な建築物です。こちらの門は豊臣時代のものではなく、1628年(寛永5年)に徳川幕府によって再建されたものですが歴史的価値は十分。1783年(天明3年)に多門櫓が焼失した時も、災害を逃れることが出来た重要な建築物なのです。
大手門を潜る際、南控え柱の継ぎ部分から是非とも、職人の技を堪能しましょう!
「殺ぎ継ぎ」と呼ばれる職人の技法で腐食部分が修復されていて、一見不可能にも思える構造で繋がれています。達人技とも言えるこの技法は、石浜太郎平さんの手によって施されました。
千貫櫓
大手門に向かう際に左側に見える千貫櫓も、国から重要文化財に指定されている貴重な建築物です。歴史深く、重要文化財に指定される貴重な建築物ですが、春と秋には1週間程度、内部が公開されているので在りし日の雰囲気を堪能することができます。
この千貫櫓は大阪城に現存する建物の中で最も古い物で、1620年(元和6年)に小堀遠州の設計・監修の上で築かれました。
この事実は1961年(昭和3年)の解体修理の際に、墨書銘のある板が土台部分から発見されて、判明しました。
織田信長が「あの櫓を落とした物には、千貫与えても惜しくない」と話した事が、千貫櫓の名前の由来だとされています。織田信長が石山本願寺を攻めた時に横矢を効果的に活用できる隅櫓がこの界隈にあり、攻略するのに非常に苦労したとのことです。
多聞櫓
大阪城では、貴重な現存・多門櫓を鑑賞する事が出来ます。過去には京橋口・青屋口・玉造口の3ヶ所にも多門櫓がありましたが焼失してしまい、現存するのは大手口のみとなりました。
まさに最後に「残された1つ」という言葉がよく似合います。江戸時代にはこの多門櫓は、武士たちのための市場の会場としても機能していたと言われています。
毎月、決まった日程に大阪城詰めの武士達が消費する日用品を卸すために、城への出入りを許された商人達が市場を開催していました。
市場を開催されていた事もあり、多聞櫓は「市多聞」とも呼ばれていました。
銀名水井戸の井筒
桜門を潜り抜けた先に設置された銀名水井戸は、徳川幕府が大阪城を再建した際に設けた5つの井戸の内の1つです。本丸を警護する役人達の飲料水として用いられていたとの事です。
なお、現在は飲料禁止となっていますので、絶対に飲まないで下さい。実は、銀名水井戸は元々、旧大坂私立博物館の裏手に設置されていましが、1931年(昭和6年)に大阪天守閣の復興と同時に、現在の位置に移動されました。復興の際に、桜門を潜った場所に引っ越ししたとも言えますね。
実はこの銀名水井戸の名前の由来は明らかになっていませんが、仮説は残されています。小天守大の「黄金水」、もしくは天守閣東側にあった「金明水(現在は埋もれて目にすることは不可能)」との対比で銀名の枕詞が与えられたと考えられています。
天守閣
大阪城の天守閣は現在三代目で、1931年(昭和6年)11月に復興されたものです。1615年豊臣時代に、残念ながら落雷によって焼失してしまった徳川時代に続く、三代目の天守閣なのです。
当時は現在よりも歴史資料が重宝されていなかったので、復興の建設は非常に苦労したとのことです。現在の三代目の天守閣では豊臣と、徳川の両時代の特徴を楽しむ事ができます。
なぜ、このような不思議な組み合わせが誕生したのでしょうか?
その答えは徳川時代に築かれた石垣の上に、豊臣時代の天守閣が築かれたからです。
この三代目天守閣はコンクリートで再建されたものですが、思想・技術の面では十分に歴史価値が高いものです。豊臣秀吉が当時における最高の技術を集結させたのと同様に、昭和初期の最高の技術を後世に残すために鉄骨鉄筋コンクリートが採用されました。
また、大阪城を再建する工程で生み出された技術は、その後の復興天守閣に有効に活用されています。大阪城・天守閣は近代建築の傑作と言っても過言ではない貴重なものです。
大阪城観光におすすめホテル4選
大阪城の旅行を考えている方におススメのホテルをご紹介
大阪のシンボルとして大阪府民に慕われている「大阪城」は、昔から変わらない人気の観光スポットです。京橋にあるため交通の便が便利で、大阪城公園は様々な屋台や緑豊かな公園です。以下では大阪城の近くに泊まれて、満足度の高い旅行になること間違いなしのホテルを4選ご紹介します。大阪城観光以外にも、様々な大阪の観光スポットに近いホテルばかりですので、大阪旅行を満喫して下さい。
ホテルニューオータニ大阪
ホテルニューオータニ大阪は2016年に開業30周年を迎えました。大阪城公園に隣接するハイクラスホテルとして、旅行客だけではなく梅見や観桜で大阪城公園を訪れる大阪人にも親しまれてきました。大川沿いに位置し、大阪水上バス・アクアライナーの乗船場がすぐ目の前にあります。海外からの観光客にはお城が見えるホテルとして人気ですが、写真左手に見える大阪城ホールにも歩いてすぐで、宿泊客だけではなくイベント帰りの人々も「ちょっと優雅にニューオータニでお茶でも…」と立ち寄るホテルです。
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KKRホテル大阪
KKRホテル大阪にお泊りの時には、大阪城を見ることができる部屋に泊まるのがおすすめです。部屋から大阪城を見るためには「キャッスルビュー」という北側に窓がある部屋を指定しましょう。
「シティビュー」というタイプの部屋からは大阪城は見えないため十分にご注意ください。
部屋から大阪城が見える「キャッスルビュー」タイプの部屋には、シングルルーム・ツインルーム、大阪城が見えるように大きな作業デスクが置かれたビジネスシングル・ハンディキャップルーム、和室などもあります。特におすすめなのは、シングルルーム・ビジネスシングルルームです。
この部屋では、大阪城を窓の正面に見る形でベッドが置かれており、寝ながらでも足元にお城を望むことができます。「キャッスルビュー」と「シティビュー」の部屋の値段の差は、およそ1,000円ほどです。
この値段の違いで大阪城を一望できるロケーションを手に入れることができるので、空いていれば、ぜひ「キャッスルビュー」を選んで下さい!
比較的リーズナブルな設定のお部屋もありますので、観光の他、ビジネス利用にもおすすめです。
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ホテルモントレ ラ・スール大阪
モントレグループのホテルは一軒一軒テーマが異なり、ヨーロピアンテイストのホテルが多い中、こちらの「ホテルモントレ ラ・スール大阪」はアメリカンアール・デコがテーマ。
モントレグループのホテルの宿泊者の中には、それぞれのホテルのロビーの雰囲気やインテリアを楽しみにしている人も多数。「今度のモントレはどんなテーマかしら」とドキドキする宿泊客をまずお迎えするのが、こちらのロビーです。
重厚感のあるアンティーク家具が置かれたロビーは、まるで1920~1930年代のニューヨークの邸宅のような趣は、都会の中の非日常を感じさせてくれます。
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ホテル・ザ・ルーテル
ホテル・ザ・ルーテルの最寄り駅は大阪市営地下鉄の谷町四丁目駅、谷町線と中央線が交わる駅で、ベイエリアや天王寺へ乗り換えなしでアクセスできます。
その他、大阪の中心部を始め、主要のエリアへ行くのに非常に便利な立地で、谷町四丁目駅1-B出口からホテルまで歩いて1分。谷町四丁目駅出口付近にはコンビニもある利便性高きロケーションといえるでしょう。
大阪城を始め、ホテルの周辺には大阪府庁、府警察本部といった主要施設も多く、ビジネスに観光に使えるホテルです。
ホテルのエントランスには教会の入り口が隣接しており、日本福音ルーテル大阪教会です。
教会運営とホテル運営は全く関係がありませんが、ホテルは教会の雰囲気がマッチする外観で、館内もウッディな印象で、照明使いと色合いでモダンな雰囲気を醸し出していることからも、上質な空気を纏ったオーラを感じます。
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